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花を見よう、空を見よう [こども説教]

こども20200913  「花を見よう、空を見よう」  マタイ6:25-34
 皆さん、おはようございます。皆さんは、お花は好きですか。大人になったら、お花屋さんになりたい人はいますか。では、皆さんは、空は好きですか。大人になったら、飛行機やロケットのパイロットになりたい人はいますか。
 ぼくも、お花や空は大好きです。でも、もう大人になってしまって、牧師という仕事をしていますので、花屋さんやパイロットにはならなくてもいいです。
 けれども、その代わりに、スマホでお花や空の写真を撮るようにしています。この教会のお庭には、いろいろな花が咲きます。朝顔とかひまわりとかアジサイとか、名前のわかるお花もありますが、名前のわからないお花もあります。名前がわかってもわからなくても、ああきれいだな、ああきれいに咲いているな、と思ったら、スマホで写真を撮るようにしています。
 それから、空を見ていて、おもしろい形の雲が見えたり、夕焼けで赤く染まっているときも、スマホで写真を撮ります。
 そして、その写真を友達に見せることもあります。なぜなら、私たちは、美しい花や美しい空を見ると、心がやさしくなるからです。ああ、美しいな、と思うと、心がやさしく、ゆたかになるからです。
 今日の聖書で、イエスさまはこんなことを言いました。野原に咲いている花をよく見なさい。野原に咲いている花をよく見なさい。
 どんなときに、花を見たらよいかと言うと、思い悩んでいるときです。思い悩む、ってどういう意味かわかりますか。心配なことがあったり、不安なことがあったり、悲しかったり、泣きたくなったり、悔しかったり、そういうときです。
 そういうときに、イエスさまは、野原の花を見てごらんなさい、と教えてくれるのです。
 それから、イエスさまは、空の鳥をよく見なさい、とも言われました。それも、思い悩んでいるとき、心が苦しいとき、空の鳥を見なさい、と言うのです。神さまは、スズメのような小さな鳥も守ってくれるから、みんなのことも守ってくれるよ、心配しなくていいよ、と言うのです。
 イエスさまは、空の鳥を見なさい、と言いましたが、ぼくは、鳥を見なくても、空を見るだけでも良いと思います。皆さんが悲しいとき、空を見上げてみてください。青い空を見てみてください。白い雲を見てみてください。そしたら、きっと神さまのことを思い出して、心がやさしくなれると思います。
 ただ、注意してほしいことは、空を見るときは、太陽を直接見ないこと、目を傷めますから。それから、野原の花や空を見るときは、車に気を付けること、道路では見ないことです。
 そういうことに注意すれば、私たちは、空を見たり、花を見たりして、神さまのことを思い出し、心がきっとやさしくなれると思います。
 お祈りをいたしましょう。神さま、わたしたちにいのちを与えてくださり、ありがとうございます。この世界に美しい花を咲かせてくださり、美しい空を造ってくださり、ありがとうございます。花を見て、空を見て、神さまのことを思い出し、やさしい心になれますように。イエスさまによってお祈りします。

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みんな とても よい [こども説教]

こども202008023  「みんな とても よい」  創世記1:31
 皆さん、おはようございます。この教会は誰が作ったのでしょうか。この教会の建物、このおうちは、20年前に大工さんたちが作ってくれました。だから、この教会は大工さんが作ってくれたと言うこともできます。
 けれども、大工さんたちにこの教会の建物を作ってくださいとお願いしたのは、教会に来ている人たちでした。ですから、この教会は、この教会に来ている人たちが作ったということもできます。
 教会には庭があって、庭にはひまわりとか紫陽花とかきれいな花が植えられています。それを花壇と言います。その花壇は誰が作ったのでしょうか。じつは、教会には、花壇を作るのが大好きな人たちがいます。教会には花が好きな人たちがいます。その人たちが、教会の花壇を作ってくれたのです。
 では、花壇を作った人たち、花を植えて育てている人たちは、自分たちが育てた花を、悪いものと思うでしょうか。この花は良い花だけど、この花は悪い花だ、と思うでしょうか。自分たちで育てた花なら、どの花のことも悪い花だとは思わないでしょう。自分で創った花壇に咲いた花なら、どの花も良い花だと思うでしょう。
 神さまもおんなじです。花壇は誰かが作ったように、わたしたちが生きているこの世界は神さまが創ってくださいました。花壇を作る人が花が大好きなように、世界を創ってくださった神さまは世界の中にあるものが大好きでした。だから、私たち人間のことも、神さまは大好きです。
 今日の聖書には、「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」と書いてありました。神さまは、わたしたちを造ってくださり、わたしたちにひとりひとりのことを悪いなどとは思わず、はんたいに、良いと思ってくださるのです。
 わたしたち人間は神さまではありませんから、あの人は嫌いだとか思うことがあります。あの人は悪い人だと思うことがあります。ほんとうに悪いことをする人もたしかにいますが、わたしたちが勝手にあの人は悪い人だと決めつけてしまうことがあります。私たち自身も、ときどき、誰かから、悪い人だと決めつけられてしまうこともあります。
 でも、神さまはそんなことはなさいません。神さまは私たちを造ってくださり、わたしたちひとりひとりを大切に思ってくださるのです。悪い人だなんて決めつけません。
 今日のお話、どこかで聞いた気がしませんか。じつは、今日のお話は、年間聖句とほとんど同じ意味なのです。年間聖句は「 わたしの目に あなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛している」ですよね。これは神さまの目から見たら、みんなひとりひとり大切な子どもだよ」という意味です。そして、今日の聖書は「神さまは私たちを造ってくださり、私たちみんなを良い子だと言ってくださる」という意味なのです。じつは、聖書には、神さまは私たちみんなを愛しているよ、という言葉がたくさん出てくるのです。

 お祈りをいたしましょう。

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あなたの子は生きる [こども説教]

2020年7月19日 ヨハネ4:46‐54  「あなたの子は生きる」

 皆さん、おはようございます。皆さんは、体温計で熱を測ったことがありますか。今まで、最高何度まで熱が出たことがありますか。

 私の子どもたちは今は大学生ですが、小学校や中学校のころ、何回か高い熱を出したことがあります。一番高かったのは、42度です。

 ふつうは、高くても、38度とか39度とか40度くらいなのですが、42度も熱が出てしまったので、びっくりして、119番に電話して、救急車に来てもらいました。そしたら、救急車がサイレンを鳴らして、うちの前まで来て、救急隊の人が、家の中まで入ってきました。そして、二段ベッドの二階で寝ていた私の子どもを抱え上げて、救急車に乗せて、病院まで連れて行ってくれました。

 その時は、本当に心配で、神さま、助けてください、とお祈りしました。私の子どもはそのまま一週間くらい入院することになりました。

 皆さんも、もしかしたら、似たような経験があるかもしれませんね。入院したことがある人、いますか。入院はしなくても、病気で家で寝ていたことは何度かあると思います。

 そんなとき、みんなも心配だったと思いますが、お母さんやお父さんも心配したと思います。

 今日の聖書にも、似たようなお話が出てきました。

 ある人の子ども、男の子が、高い熱が出て、死にそうになってしまいました。その人は、どうしても子どもを助けたくて、イエスさまのところにやってきました。そして、イエスさま、助けてください、と言いました。

 イエスさまはその人に「大丈夫、家に帰りなさい。あなたの息子は生きる」と言われました。すると、子どもの熱が下がって、子どもは助かった、と言うのです。

 この話を聞いて、みんなに信じてほしいことは、神さまはみんなに生きてほしいと願っている、神さまはどんなときでも病気の時でもみんなが生きられるようにしてくださる、ということです。もし、今度、病気になってしまったら、神さまがわたしを生きられるようにしてくださるということを思い出してください。

 それから、お母さん、お父さんたちも、お子さまのことでは、病気や病気以外のこと、成長のこと、将来のことで、いろいろ心配がおありかも知れませんが、イエスさまは「あなたの子どもは生きる」と言ってくださることを思い出してください。

 それでは、お祈りいたしましょう。神さま、イエスさまは、「あなたの子どもは生きる」と言ってくださいました。わたしたちがどんなときでも、このイエスさまの約束を思い出すことができますように。イエス・キリストによってお祈りいたします。アーメン。

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「これまで悲しかった分だけ、今日はうれしい」 [こども説教]

子ども説教20190728  ルカ7:36‐50

「これまで悲しかった分だけ、今日はうれしい」

 おはようございます。今から二千年前、ユダヤという国に、ひとりの女の人がいました。この人は、いつもまわりの人から、あの人は悪い人だ、あの人は悪いことをした、と言われて、とても悲しんでいました。

 ところが、あるとき、イエスさまが近くに来たことを知りました。イエスさまだったら、わたしの悲しみをわかってくれるかも知れない、そう思って、この女の人は、うしろからそおっとイエスさまに近づいて行きました。
 
 すると、それまで我慢していた涙が目からこぼれてしまいました。そして、その涙は、イエスさまの足を濡らしてしまいました。女の人は、あわてて、イエスさまの足をふこうとしましたが、何もなかったので、とっさに、髪の毛で、イエスさまの足を拭きました。
 
 そしたら、イエスさまは、ああ、この人は、わたしのことをとても大切にしてくれた、わたしのことを愛してくれた、と喜びました。
 
 そして、わたしはあなたのことを、悪い人だ、などと言って、責めたりしないよ、誰もあなたのことを、悪い人だなどと責めることはできないよ、と言ってくださいました。
 
 この女の人は、これまで悲しんできた分、ああ、イエスさまはわたしを愛してくださったのだな、とわかったのではないでしょうか。

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「もう泣かなくてもいいよ、起きなさい」 [こども説教]

子ども説教20190721  ルカ7:11-17

「もう泣かなくてもいいよ、起きなさい」

 おはようございます。今から二千年前、ひとりの女の人がいました。この人の夫は死んでしまって、この女の人ひとりで男の子を育てていました。ところが、この男の子も死んでしまったのです。

 この男の子が棺桶に入れられて運ばれていたところ、そこをイエスさまが通りかかりました。イエスさまはこの女の人が涙を流して悲しんでいるのを見て、ご自分も心を痛めました。

 そして、この女の人に言いました。「もう泣かなくてもいいよ」。イエスさまはどうしてこんなことを言われたのでしょうか。イエスさまは棺桶に横たわっているその男の子に、起きなさい、と言われました。そしたら、その男の子は起き上がったのです。

 お母さんはどんなにうれしかったことでしょうか。イエスさまが、もう泣かなくてもいいよ、と言われたのにはこういう意味が込められていたのです。

 ところで、起き上がったのはこの男の子だけでなく、お母さんも起き上がったのではないでしょうか。お母さんは、男の子を失って、自分も死んでしまったみたいに、悲しみ、落ち込んでいました。

 けれども、男の子が起き上がることで、このお母さんも起き上がることができたのです。わたしたちの人生では、このお母さんのように涙をながすようなことが何度か起こりますが、そのつど、イエスさまが、もう泣かなくてもいいよ、起きなさい、と言ってくださいます。


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「イエスさまのお祈りによって、わたしたちは助けられます」 [こども説教]

子ども説教20190630  ルカ8:40-56

「イエスさまのお祈りによって、わたしたちは助けられます」

おはようございます。皆さんは、困ったことがあったり、苦しいことがあったりするときは、どうするでしょうか。わたしは、神さまにお祈りします。神さま、苦しいです、助けてください、とお祈りします。そして、神さまがかならず助けてくださると信じます。

そうはいっても、正直に言えば、ときには、お祈りできないときもあれば、神さまを信じられないときもあります。そんなときにはどうしたらよいでしょうか。

じつは、わたしたちが神さまにお祈りできないときでも、わたしたちのかわりに、わたしたちのことを神さまにお祈りしていてくださる人がいるのです。わたしたちが神さまを信じられないときでも、わたしたちのかわりに、神さまはわたしたちを助けてくださると信じてくれる人がいるのです。家族とか友達とか先生とか、そういう人がかならずいます。教会ではいつも皆さんのことをお祈りしています。

それから、イエスさまもそうです。わたしたちが神さまにお祈りできないときでも、イエスさまが、わたしたちのかわりに、わたしたちのことを神さまにお祈りしていてくださるのです。そして、そのイエスさまのお祈りによって、わたしたちは助けられているのです。

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「神さまの使いが、わたしたちの手を引っ張ってくださいます」 [こども説教]

子ども説教20190623  ルカ14:15-24
「神さまの使いが、わたしたちの手を引っ張ってくださいます」

おはようございます。今日の聖書では、イエスさまはこんなお話をしました。神さまが人びとをパーティに招きました。まず招待状を出しました。何月何日にパーティを開きますから、来てください。

それから、その日になると、神さまの使いが人びとの家に行って、さあ、パーティに来てください、と言いました。ところが、人びとは、ほかに用事があります、ほかにもっと大事なことがあります、ほかにもっとおもしろいことがあります、と言って断ってしまいました。

そこで、神さまは、使いの人に、道路や公園に行って、貧しい人や体の不自由な人を、パーティに連れて来なさい、と言いました。そうして、神さまのパーティ会場はいっぱいになりました。

わたしたちは、神さまがせっかく招待してくださっても、その招待に気付かなかったり、神さまのところは良い場所だとわからないで断ってしまうかもしれません。

けれども、今日の話のように、神さまの使いがわたしたちの手を引っ張って、そこまで連れて来てくれるから、こうして今日も教会に来ることができ、神さまと一緒にいることができたのではないでしょうか。
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「大丈夫だよ、いつも皆と一緒にいるよ」 [こども説教]

子ども説教20190602 マタイ28:16-20 

「大丈夫だよ、いつも皆と一緒にいるよ」

 おはようございます。わたしたちは、自分一人しかいないとき、誰も一緒にいてくれないとき、とてもこわかったり、不安だったりします。反対に、何かこわいようなとき、何か不安なときでも、誰かが一緒にいてくれたら、大丈夫だと思えるときがあります。

 いつも誰かが一緒にいてくれたら、それが一番良いと思いますが、たとえば、まわりには知らない人ばかりいるところに行かなければならないようなことが、わたしたちの人生にはときどきあるのです。

 そんなときでも、そこに行く前に、誰かが、大丈夫だよ、と言ってくれ、その「大丈夫だよ」という言葉を、ひとりぼっちになったときに思い出すことができたら、なんだか、ひとりぼっちではないような元気が出てくることがないでしょうか。

 イエスさまはお弟子さんたちを「行ってらっしゃい」と送り出すときに、「大丈夫だよ、わたしは、いつも、皆と一緒にいるよ」と言ってくださいました。

 そして、じつは、そのイエスさまの御言葉は、お弟子さんたちだけでなく、わたしたちにも言ってくださった言葉だったのです。

 ですから、わたしたちは、ひとりぼっちで心配なときも、「大丈夫だよ、いつも皆と一緒にいるよ」というイエスさまの御言葉を思い出したいと思います。
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「言葉の力」 [こども説教]

子ども説教20190526 ルカ7:1-10 「言葉の力」

 おはようございます。わたしたちはどうして国語の勉強をするのでしょうか。漢字の読み方や書き方、文の読み方、文の書き方を、どうして勉強するのでしょうか。

 それは、言葉には力があるからです。言葉には、わたしたちが悲しんでいるとき慰めてくれたり、力が出ないとき元気を出させてくれたりする力があります。

 聖書の言葉にも力があります。聖書はとても分厚いのですが、この中には、大切な三つの言葉が書かれているのです。

 ひとつは、「どんなときでも、神さまがいるよ。どんなときでも、神さまが一緒にいて、味方になってくれるよ」という言葉です。

 それから、「神さまが愛してくれるよ。愛されていない、愛してもらえないと思うときでも、神さまは愛してくれるよ」という言葉です。

 そして、もうひとつは、「あなたに平和がありますように。あなたの心が平和でありますように」という言葉です。

 これらの聖書の言葉は、わたしたちの心の中で、とても大きな力になってくれます。

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「一番大切なもののほんの少しを」 [こども説教]

子ども説教20190519 ヨハネ15:12-17  

「一番大切なもののほんの少しを」

 皆さん、おはようございます。わたしたちの生きている世界では、ときどき、戦争が起こってしまいます。けれども、戦争ではたくさんの人が死んでしまいます。それで、世界から戦争がなくなるように、働いている人たちがいます。その人の人生ずっと、戦争がなくなるための働きをする、そんな人がいます。

 イエスさまも同じでした。イエスさまは、生まれてからずっと、わたしたちのために働いてくださいました。それは、わたしたちが神さまと戦争をしないためです。わたしたちが神さまと争わないためです。神さまとわたしたちが平和になるためです。そのために、イエスさまはご自分の人生、生まれてから死ぬまでの時間を、ささげてくださいました。イエスさまはご自分の人生という一番大切なものをわたしたちにささげてくださったのです。

 わたしたちにとって一番大切なものは何でしょうか。それは、これから少しずつ考えて行ってください。そして、大人になったら、その一番大切なものを、イエスさまのように誰かにささげる時が来るかも知れません。

 いや、一番大切なもの全部ではなくて、その少しを誰かにささげる日が来るかも知れません。そんなことはめったにありませんが、人生の中では、三回くらいそんな時があるかも知れません。

 誰かが平和になるために、自分の一番大切なもののほんの少しを捧げる、そんな時がいつか来るかも知れない、ということを覚えていてください。

 そして、じつは、イエスさまは、わたしたちが平和になるために、ご自分の一番大切なものをすべてわたしたちにあたえてくださったことを思い出してください。
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