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2024-03-31 [使信]

2024年3月31日 マタイ28:1-10 「起き上がる」
 おはようございます。そして、イースターおめでとうございます。さて、わたしはどうして、使信の最初に「おはようございます」と言うのでしょうか。そして、今日はどうして「イースターおめでとうございます」と言うのでしょうか。イースターの何がめでたいこと、愛すべきこと、喜ぶべきことなのでしょうか。
 今日の聖書には、イエスは「復活なさったのだ」「あの方は死者の中から復活された」とありますが、もともとの言葉の意味になるべく近い日本語で言えば、これは、「起こされた」「寝ている状態、横たわっている状態から起き上がらされた」ということになるそうです。
 「起こされる」、これは、わたしたちの人生で言えば、たとえば、病気からの回復、あるいは、苦境からの脱出、あるいは挫折からの再起ということに近いかもしれません。
 わたしたちの世の中は挫折に満ちています。イッペイさんもショウヘイさんもナオミさんもぜひ挫折から再起してほしいと願います。
 朝ドラの「ブギウギ」が終わりました。あの主人公にもさまざまな挫折がありました。最初に受験した音楽学校には不合格になりました。両親はじつは育ての親であることを知ってしまいました。愛する弟、戦争で死ぬのが怖いと言った弟が戦死しました。戦争で歌えなくなりました。愛し合って結ばれた夫が病気で死んでしまいました。けれども、彼女は、これらの挫折からそのたびに起き上がりました。敗戦後、笠置(かさぎ)シズ子さんや美空ひばりさんの歌によって、励まされた、生きる元気をもらった、という人も、すくなくないのではないでしょうか。
 大河ドラマ「光る君へ」の主人公、紫式部、ドラマでは、いまのところ、「まひろ」と呼ばれていますが、彼女は藤原道長との別れから再起できるのでしょうか・・・できるに決まっていますが、どのように再起するのでしょうか。
 イエスも挫折をしました。イエスは、神の国を宣べ伝え、病人を癒し、斥けられた人びとを愛しましたが、おそらくは、それゆえに、祭司長、律法学者、宗教支配者によって殺そうと計画されました。そして、ユダから売られます、ペトロに知らないと言われます。弟子たちが逃げていきます。
 最高法院で死刑の判決を受けました。ピラトによって死刑の許可がくだされました。ローマ兵や人びとから辱められました。十字架につけられました。そこで、死にました。暗い墓の中に葬り去れました。イエスは倒されたのです。イエスの死は挫折でもありました。イエスは殺され、倒れ、地面に横たえられたのです。
 けれども、死んで大地に身を横たえたイエスを神さまは起き上がらせました。神さまはイエスを起こしました。イエス・キリストは、ただ死んで復活したのではなく、挫折の死から復活したのです。
 今日の聖書を振り返ってみましょう。マタイによる福音書28章1節です。28:1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。
 「安息日」とは、金曜の日没から土曜日の日没のことです。そして、「週の初めの日」とは、土曜日の日没から日曜日の日没ということになりますが、「週の初めの日の明け方」とありますから、これは朝の話、つまり、日曜日の朝のお話です。今日と同じ日曜日の朝のことです。教会が日曜日の朝に礼拝をするのは、これにちなんでのことです。日曜日はお出かけしたいから、朝のうちに礼拝を済ませておこう、ということではありません。
 「墓を見に行った」とあります。マグダラのマリアたちは、イエスは死んだまま墓に横たわっていると考えていたのです。イエスは挫折の死の状態のままだと思っていたのです。ここには、あきらめが感じられます。イエスの死は、イエスについて生きて来た彼女たち自身が挫折することでもあったのです。
 けれども、挫折とあきらめをひっくり返すような出来事が生じます。28章2節です。28:2 すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。
天使が「石をわきへ転がした」とあります。イエスは、挫折の死により倒れ、暗い墓に寝かされ、そこに閉じ込められていました。けれども、「石をわきへ転がす」とは、イエスが閉じ込められた空間の扉を開くことを意味します。そのことは、さらに、倒れて寝ているイエスを起き上がらせ、明るい光の外へ連れ出しました。「その上にすわった」とあります。天使はイエスを閉じ込めた石を制覇したのです。天使はイエスを閉じ込めた闇を打ち破ったのです。
 この天使がしたことは、そのまま神さまがイエスにしたことでありましょう。挫折して、死んで、倒れ、闇に閉じ込められたイエスを、神さまは起き上がらせ、扉を開け、光の中に導いたのです。
5節です。28:5 天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、28:6 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。
 「恐れることはない」とあります。これは、この不思議な出来事に恐れることはない。ということだけでなく、自分たちの師であるイエスが挫折の死を遂げてもう会えない、もうここにはいない、自分たちには助けも支えもない、と恐れる必要はない、ということでもありましょう。
 「あの方はここにはおられない」とあります。イエスは挫折の死によって倒れたままでいるのではありません。イエス・キリストは墓に閉じ込められたままではありません。あの方は起き上がった、あの方は起き上がって、光に満ちあふれた広い世界へと出て行かれた、と天使は言うのです。天使はイエス・キリストは「復活なさった」と言います。復活とは、挫折して一度は死んだ者が、しかし、起き上がって、闇にとどまらず、闇から光へと出て行くことなのです。
 7節です。28:7 それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」「死者の中から復活された」。
 イエス・キリストは挫折の死から起き上がりました。神さまが起こしたのです。イエス・キリストは、挫折の死から復活しました。
 皆さまには何度もお話ししたことで恐縮ですが、これしか話のネタがないので、今日もお話しいたします。わたしは、数年前に20年近く務めた前の職場を辞めることになりました。このことは大きな挫折でした。
 あれはひとつの死でした。あんなに打ちのめされたことはありませんでした。先週、イエスを人びとが取り囲み理不尽に責め立てたという話がありましたが、そのときのわたしもそんな状態を痛感していました。
 しかし、数年経った今、数年前とはまた違う人生の展開を与えられています。何よりも、まぶね教会で日々有意義に過ごさせていただいておりますし、思いがけなく、いや、これは嘘で、わたしから「わたしにできる仕事があれば」と売り込んだのですが、その結果、農伝で授業を受け持ったり、また、神学生とともに歩むことができたり、しっかりと、起き上がって歩いています。
 イエス・キリストは「あなたがたより先にガリラヤに行かれる」とあります。「あなたがた」とは、弟子たちのことです。弟子たちは逃げました。しかし逃げなかった女性たちが弟子たちに「イエス・キリストはあなたがたより先にガリラヤに行かれる」と告げるのです。
 ガリラヤは弟子たちのふるさとです。弟子たちもイエス・キリストとともにガリラヤからエルサレムに出て来て挫折したのです。これは、日本で言えば、地方から東京に出て来て挫折したみたいなものかもしれません。その弟子たちがガリラヤにもどることは、挫折した弟子たちの再起を意味するのではないでしょうか。そして、イエス・キリストがそのガリラヤに「先に行く」とは、イエスが弟子たちに先立って、再起し、それによって、弟子たちも再起する、ということではないでしょうか。
わたしたちは人生においてたびたび挫折しますが、この挫折からの再起は、イエス・キリストの再起、イエス・キリストの復活によって導かれます。イエス・キリストの復活によって、わたしたちは人生における挫折からの復活が可能になります。
 イエスが挫折の死から復活したという物語は、わたしたちも挫折しても立ち上がることができることを意味します。挫折したわたしたちを神さまが立ち上がらせてくれることを意味します。暗い墓に閉じ込められたイエス・キリストを神さまが起き上がらせ、光へと導いたように、わたしたちが闇の中で倒れても、神さまが起こして下さり、光へと進ませてくださいます。
 9節です。28:9 すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。
 復活したイエス・キリストは「行く手に立っていて、おはよう」と言われました。わたしたちは挫折から起き上がってもどうしたらよいのか、不安です。この先やっていけるのか不安です。けれども、わたしたちのこの先、わたしたちの行く手には、イエス・キリストが立っておられるのです。イエス・キリストがわたしたちの行く手に、先に行って待っていてくださるのです。
 そして、「おはよう」と言ってくださるのです。わたしの使信やメッセージは、「おはようございます」で始まります。これは、挫折の死から起き上がったイエス・キリストが「おはよう」と言ったことを、皆さんに思い出していただくためです。つまりは、イエスは復活した、起き上がったことを思い出していただくためです。
 10節です。28:10 イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」
 「ガリラヤへ行くように」とあります。これは、神さまはあなたたちを挫折の死から起き上がらせてくださるのだから、あなたたちも起き上がって、前に進もうではないか、というメッセージではないでしょうか。
 神さまがわたしたちを起き上がらせてくださいます。わたしたちも起き上がって、光の中へと歩みましょう。
 祈り:神さま、あなたは、挫折して死に、暗い墓に閉じ込められたイエス・キリストを起き上がらせてくださいました。そして、わたしたちも、人生において、何度倒れても、あなたは、起き上がらせてくださいます。ですから、わたしたちは、死をも恐れることはありません。あなたが起き上がらせてくださいます。神さま、今、道に倒れている友を、どうぞ、起き上がらせてください。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。
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