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2024年2月25日 [今週の聖書の言葉]

【今週の聖書の言葉】

イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。(ヨハネ9:3)

 イエス・キリストがなす「神の業」とはどういうことでしょうか。この人は目が見えるようになりました。「彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た」(9:7)。
 イエス・キリストによって目が見えるようにしていただくことは、わたしたちの目には見えない神さまをわたしたちの心の目に見えるようにしていただくことではないでしょうか。キリストがなす「神の業」とは、わたしたちの霊の眼に神さまを見せてくださる、あるいは、示してくださることではないでしょうか。
 キリストは目に見えない神さまをさまざまな方法でわたしたちに示してくださいます。たとえば、「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」。この言葉で、神さまはわたしのような悪人、正しくない者をも愛してくださることを、キリストは示してくださいました。
 あるいは、「ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか」。この言葉で、神さまはすみっこの一匹であるわたしたちをお見捨てにならず探し求めてくださるお方であることを、キリストはわたしたちに示してくださいます。
 このように、イエス・キリストはご生涯と御言葉によって、目に見えない神さまの愛をわたしたちに見えるようにしてくださるのです。これも、これが神の業なのです。

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