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2024年2月11日 [今週の聖書の言葉]

【今週の聖書の言葉】

人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。(ヨハネ6:12-13)

 ヨハネによる福音書では、イエス・キリストは自らのことをこのように語っておられます。「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」(ヨハネ6:51)。
 キリストの与えるパンはキリストの肉であると。では、肉とは何でしょうか。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(1:14)。
 肉とは「言(ことば)」なのです。つまり、イエス・キリストは神さまの言なのです。神さまの言とは、旧新約聖書に記された神さまの言葉、あるいは、神さまについての言葉のことでもありますが、イエス・キリストご自身のことでもあります。
 つまり、神さまの言とは、音声や文字のことだけでなく、わたしたちへの神さまの語りかけ、愛そのものであるのです。
 今日の聖書の箇所で、イエス・キリストが多くの人びとを少しのパンで養ったということは、神さまの御言葉やイエス・キリストの愛が、この世界の中で、たとえ小さなもの、わずかなものに見えても、それは無駄ではない、むしろ、神さまの言やイエス・キリストの愛は、目に見えなくても、じつは、屑だけでも十二の籠を満たすパンのように、とてもゆたかなものである、ということでしょう。

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