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「神さまはきっと良い物をお与えくださいます」 [中高生向けのお話]

中高生礼拝 20180930 マタイ7:7-12 p.11
 
「神さまはきっと良い物をお与えくださいます」

 皆さん、おはようございます。今日の聖書で、イエスさまは、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」と言っておられます。

 皆さんは、何を求めているでしょうか。何を探しているでしょうか。自分が求めているもの、探しているもの、たとえば、行きたい大学、つきたい仕事、英語やスポーツ、芸術など身につけたい技術のような目標を目指して、一所懸命に努力することは、とても大切です。求めれば与えられる、探せば見つかる、門をたたけば開かれる、と信じて、精一杯できるだけのことをすることは、非常に大事なことです。そして、そのとおり、求めれば与えられる、と信じて、努力を重ね、努力を続ければ、それが叶うこともめずらしくないでしょう。

 けれども、イエスさまが言っているのは、自分が必死に求めれば、それを「自分で」手に入れることができる、ということではありません。自分が必死に探せば、それに「自分で」辿り着くことができる、自分が必死に門を叩けば、門を押し広げることができる、ということではありません。

 「手に入れる」ではなく「与えられる」とあります。「開けることができる」ではなくて「開かれる」とあります。神さまがそうしてくださるのですね。けっして自分一人の力でそうできるということではありません。神さまが助けてくださるのです。

 それから、「求めなさい、そうすれば、『それ』が与えられる」「探しなさい、そうすれば、探しているものが、見つかる」と言っているのではありません。そうではなく「良い物」が与えられるのです。

 11節をご覧ください。7:11 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。

 神さまは、かならずしも、わたしたちが願っているものをくださるのではありません。そうなるかも知れませんし、そうならないかも知れません。いずれにせよ、神さまは「良い物」をお与えくださるのです。

 わたしたちは、何か目標があるとき、それを一所懸命に求めたいと思いますし、神さまにもお祈りしたいと思いますが、たとえ、どういう結果が出ても、それは、神さまからいただいた良い物だと信じることも大切です。

 一所懸命に求め、神さまに祈り続けたならば、たとえ、どんな結果が出ても、それは、神さまからいただいた良い物だと受け止めることができるのではないでしょうか。

 たとえ、どんな結果になろうとも、神さまはわたしたちとともにいてくださり、わたしたちをこよなく愛してくださいます。じつは、それこそが、本当に意味での、良い物ではないでしょうか。

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