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「神は見えないから、存在しないのでしょうか」 [若者向け説教]

「神は見えないから、存在しないのでしょうか」

ヘブライ人への手紙11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

 皆さん、おはようございます。皆さんは、高校に入学して十か月間、このような礼拝や聖書の授業を通して、神について聞いてきたのですが、いかがでしょうか。神は存在する、と思うでしょうか。あるいは、神は存在しない、と思うでしょうか。

 そもそも、あるものが存在するとか、しないとか、いうことは、わたしたちは、どのようにして、判断しているでしょうか。

 一番初歩的な考えでは、目に見えるか、見えないか、ということが基準になるかも知れません。その基準で判断すれば、神も、仏も、幽霊も、天国も、地獄も、目に見えないから、存在しないということになります。

 けれども、目に見えないから存在しない、という判断があやまりであることは、皆さんもおわかりのように、簡単に証明できます。

 空気は目に見えなくても存在しますよね。この場合の空気とは、窒素と酸素からなる空気のことです。その場の雰囲気のことではありません。窒素と酸素からなる空気は目に見えなくても、たしかに存在します。測定も可能です。窒素も酸素も、目には見えませんが、空気中では、気体の状態にある物質です。中学の時に、物質の三態と言って、固体、液体、気体、と習いましたね。気体は目に見えなくても、存在します。なかには、色つきの気体もあるそうですが、透明でも、気体はたしかに存在します。

 それから、電波や音や声はどうでしょうか。これらも目には見えませんが、たしかに存在します。電波も音も測定が可能です。ただし、固体や液体や気体のように、物質として、どこかに閉じ込めることはできないのではないでしょうか。ビニール袋の中に、電波や音を入れておくことはできません。けれども、わたしたちは、電波や音を使いながら、毎日を生活していますから、電波や音についても、目に見えないから存在しない、などと言うことはできないでしょう。ただし、固体や液体や気体のような物質とは、存在の仕方が異なるのではないでしょうか。

 つぎに、心はどうでしょうか。心も目に見えません。それでも、心はたしかにありますよね。今皆さんがここにいてわたしの話を聞いている。今わたしの話を聞いている皆さんの意識というものがある。その意識を心と呼ぶならば、目には見えなくても、皆さんに心が存在することは否定できません。ただし、心の存在の仕方も、最初に話した物質や、つぎに話した電波や音とは、異なっているのではないでしょうか。 

 愛はどうでしょうか。愛とは、誰かや何かを大切にする心、というか、気持ち、というか、意志、というか、言い表すことが難しいですが、そのような目に見えない何かです。
 愛は存在するでしょうか。愛なんて存在しない、と言う人がいるかも知れません。けれども、それは自分が人からひどい目に遭わされたとか、冷たくされたとか、そういうときに、そう感じるのであって、人から良くされたり、あたたかくされたりしたら、この世にたしかに愛はあるなあ、という気持ちに替わるかも知れません。

 あるいは、あの人には愛がない、という言い方をしますが、これは、なかには愛がある人もいるのに、あの人は愛がない、という意味の場合が多いと思います。つまり、目には見えないけれども、この世界には愛がある、ただ、あの人にはない、ということですね。ですから、あの人には愛がない、という時も、世界のどこかには愛がある、あの人ではないところには愛がある、という前提で話していることになります。愛も目には見えませんが、わたしたちは、愛というものがどこかに存在する、という前提で、話をすることが多いのです。この場合も、愛の存在の仕方は、固体、液体、気体や、電波や音とは異なるように思えます。

 では、愛の存在の仕方は、さきほどの心の存在の仕方と似たようなものなのでしょうか。友情の存在の仕方も、物質や電波の存在の仕方とは異なると思われますが、友情と愛と心の存在の仕方は、おたがいに、似通っているのでしょうか。

 天国のおじいちゃん、おばあちゃんはどうでしょうか。「天国からおじいちゃん、おばあちゃんが見守っている」というのは、嘘なのでしょうか。たしかに、物質的な見方をすれば、そんなことはありません。けれども、物資的な見方ではなく、愛や友情や心のような存在の仕方であれば、天国におじいちゃんとおばあちゃんが存在する、と言うことはできないでしょうか。

 さいごに、では、神はどうでしょうか。神も目に見えません。同じ目に見えないと言っても、気体や電波の存在の存在の仕方とは、まったく違うのではないでしょうか。神の存在の仕方は、むしろ、愛や心や友情の存在の仕方と似ているのではないでしょうか。物質のような存在の仕方で考えれば、神など存在しないとなってしまいますが、愛や心や友情のような存在の仕方、あるいは、天国のおじいちゃん、おばあちゃんのような存在の仕方と似ているのかも知れません。どうでしょうか。ぜひ、皆さん、もっと考えてみてください。
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