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2022年3月27日 [今週の言葉]

「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。」(マルコ9:5)

 山の上でイエスの服が真っ白に輝き、天にいるはずの旧約預言者エリヤとモーセが現れたのを見て、ペトロはこのような言葉を口にしました。興奮して舞い上がっていたのではないでしょうか。
 イエスら三人のために仮小屋を建てることは、聖なるものを大切にすることのようにも思えますが、違うようにも考えられます。つまり、ディズニーランドでとても楽しい思いをした子どもが、ぼくはもうずっとここにいる、明日からの嫌な学校生活には戻らない、と言い出すのと、ペトロの発言は似ているようにも思えるのです。
 山を下りてからイエスは弟子たちに「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と言います。
 ペトロたちが山の上で見たのは、復活するイエスの姿の「予告編」のようなものだったのかも知れません。しかし、「死者の中から復活する」とあるように、復活の前には死があるのです。死を無視して、復活の「予告編」だけを語ってはならないのです。
 わたしたちの人生にはいくつか喜びがありますが、それは、悲しみを乗り越えてのものがほとんどではないでしょうか。希望をもつ前には絶望の期間があり、楽しみの前には苦しみがあり、治癒の前には病があったのではないでしょうか。
 わたしたちは、一足飛びに救いを求めてしまいます。しかし、小春日和から春に至るには、厳しい冬の寒さを経なければなりません。言い換えれば、この冬を超えれば、春が来るのです。この苦しみを経れば、喜びが待っているのです。

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