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「自慢をしなくても、誉められなくても、神さまは見ていてくださいます」 [若者向け説教]

中高生礼拝 20180819 マタイ6:1-4 p.9
 
「自慢をしなくても、誉められなくても、神さまは見ていてくださいます」
 
 皆さん、おはようございます。皆さんのまわりには、人を助けたり、みんなでする仕事を率先してやったり、とても良いことをしているようだけれども、じつは、それを人に見えるように、人に見せるようにやって、誉めてもらおうとしている人はいないでしょうか。そういう人は、人が見ていないときは、何にもしなかったりしますよね。
 
 今から二千年前、日本からは遠いユダヤの国にも、そういう人はいました。イエスさまは、そういう人たちを見て、「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい」と言われました。
 
 イエスさまによると、そういう人たちは、貧しい人びとに食べ物やお金を渡すときに、ラッパを吹き鳴らして、人をたくさん集めて、さあ、皆さん、しっかり見ていてください、わたしは、この貧しい人びとを助けますよ、偉いでしょう、と自分を宣伝しているようなものだ、ということになります。
 
 そういう人たちは、じつは、神さまから救われたいから、皆から良いと思われるようなことをしているのかもしれませんが、イエスさまは、皆から良いと思われることで、もうご褒美は受けてしまっているのだから、神さまからのご褒美はもうないよ、と皮肉のようなことも言っておられます。
 
 ほんとうは、わたしたちが何か良いことをしたご褒美で、神さまがわたしたちを救ってくださるのではありません。わたしたちはもう神さまから救われているのです。わたしたちがここにいること、生かされていることは、良いことをしたご褒美ではなく、神さまからいのちを与えられたからです。それがもう神さまの救いなのです。

 わたしたちがいのちを与えられ、今ここに生きている。さらには、目には見えないけれども、神さまが一緒にいてくださる。目には見えないけれども、さらには、感じられないかもしれないけれども、神さまが愛してくださっておられる。それが神さまの救いなのです。
 
 神さまの救いは感じられないものかもしれません。空気と同じです。空気も風でも吹かない限りそんなに感じられるものではありませんが、わたしたちは空気の中に、あたりまえのように浸っています。神さまの愛も、空気のようなもので、そんなに感じられなくても、じつは、わたしたちは神さまの愛に包まれている、救われているのです。
 
 それは、何か良いことをしたからではありません。わたしたちは、良いことをしなくても空気に包まれているように、良いことをして偉いだろうと神さまに見せなくても、神さまの愛は空気のようにわたしたちを包んでいてくださいます。

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