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《創造者に導かれる旅》その105  「良きものは、褒美ではなく、恵みです」 [希望と慰めの言葉]

《創造者に導かれる旅》その105  「良きものは、褒美ではなく、恵みです」

申命記9:6 あなたが正しいので、あなたの神、主がこの良い土地を与え、それを得させてくださるのではないことをわきまえなさい。あなたはかたくなな民である。9:7 あなたは荒れ野で、あなたの神、主を怒らせたことを思い起こし、忘れてはならない。あなたたちは、エジプトの国を出た日からここに来るまで主に背き続けてきた。

※エジプトを脱出したイスラエルの人びとは、ついに、神さまが約束してくださった土地に入ります。「そこには先住民がいたが神が追い払ってくれた」と聖書にはあります。しかし、まことに追い払われるべきは、先住民ではなく、人びとのかたくなさと背きだったのではないでしょうか。もし、先住民は不正だから神が追い出してくださり、正しい自分たちに報いてくださったなどと思うのであれば、それ自身が人びとのかたくなさと背きを証明しています。「良い土地」=良きものは、わたしたちの手柄への褒美などではなく、むしろ、罪びとであるにも関わらず、神さまが与えてくださる無償の恵みなのです。

今週の祈り「神さま、祈りへとお招きくださり、感謝いたします。神さま、はやるわたしたちが、委ねて待つことができるように、お導きください。自分の思い煩いや計らいごとにこだわるのではなく、あなたが創造してくださる、わたしたちの想像を超えたその日を待ち望み、そこにわたしたち自身を委ねることができますように、わたしたちの祈りを深めてください。神さま、病いに苦しむ人びとを、どうぞ、お癒しください。その痛みを少しでも和らげてください。神さま、差別や暴力や暴言に苦しむ人びとを、解放してください。わたしたちに平等と平和と誠実をお与えください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン」

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《使徒書の御言葉》その105「キリストの体はさまざまな部分から織りなされています」 [希望と慰めの言葉]

《使徒書の御言葉》その105「キリストの体はさまざまな部分から織りなされています」

一コリント12:18 そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。12:19 すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。

※「体」には、目、口、耳、手、足といった「部分」があります。「部分」がすべてあってはじめて「体」が成立するということではなく、一人一人の体にはさまざまな「部分」があると言う意味です。どのような「部分」があるかは、人によって異なることでしょう。さて、教会全体を「体」にたとえるならば、教会にも「部分」があります。ある部分と他の部分は異なるものです。ある人と他の人は行動も考えも異なります。けれどもそれらの部分の働きによって、教会という働き、イエス・キリストの働きが成り立っています。「目が手に向かって『お前は要らない』とは言えない」(12:21)のです。教会はキリストの体であり、キリストの体は、同じ言動の人の集積ではなく、異なる言動の人びとがたがいに織りなす「組織」なのです。

今週の祈り「神さま、すべてをあなたにお委ねいたします。わたしたちもできるだけ考え、できるだけやってみますが、あるところからさきは、あなたにお委ねいたします。神さま、どうぞ、あなたが導いてください。わたしたちのかたくなな思いではなく、あなたが吹いてくださる、しなやかな聖霊の風がわたしたちの歩みを促してくださいますように。神さま、わたしたちの中から悪いものを追い出してくださり、あなたの霊の実りで満たしてください。朝を来たらせてください。そのときまでは、月と星がわたしたちを照らしてください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン」

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《創造者に導かれる旅》その104  「思い出し、感謝し、希望を抱く」 [希望と慰めの言葉]

《創造者に導かれる旅》その104  「思い出し、感謝し、希望を抱く」

申命記 8:14 心おごり、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい。主はあなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出し、8:15 炎の蛇とさそりのいる、水のない乾いた、広くて恐ろしい荒れ野を行かせ、硬い岩から水を湧き出させ、8:16 あなたの先祖が味わったことのないマナを荒れ野で食べさせてくださった。それは、あなたを苦しめて試し、ついには幸福にするためであった。

※現在のことを不満に思い、これからのことを神さまにお願いするばかりでなく、これまで神さまがなさってくださったことに感謝することが大切です。神さまがわたしたちになさってくださったことを思い出すと、わたしたちは感謝へと導かれます。神さまは、かつて、わたしたちを窮地から救い出してくださいました。その後の厳しい道のりもお守りくださいました。わたしたちにこころと体の糧を与え続けてくださいました。わたしたちは苦しみの中でもつねに神さまへの信頼へと促されてきました。そして、ついには神さまとともにある幸福へと導かれました。ふたたび奴隷の地エジプトに連れ戻され、荒れ野を歩かなければならなくなったとしても、かつてのことの記憶と感謝に基づいて、神さまは救ってくださるという希望を抱くことができるでしょう。

今週の祈り「神さま、長く続けてきた祈りをお聞きくださり、まことにありがとうございます。あなたは、わたしたちを祈りへと招いてくださり、祈りによってお支えくださいました。心から感謝申し上げます。神さま、若い人びとのこれからの歩みを、どうぞ、導き、お支えください。神さま、病を負った人びとをお癒しください。神さま、わたしたちをあなたの僕としてください。また、互いの僕としてください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン」

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《使徒書の御言葉》その104「自分と違う人も同じ神さまによって生かされている」 [希望と慰めの言葉]

《使徒書の御言葉》その104「自分と違う人も同じ神さまによって生かされている」

一コリント12:4 賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。12:5 務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。12:6 働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。

※パウロはここで同形の文を三度重ねることで、非常に大切なことを伝えようとしているのでしょう。それは、自分と違う人も同じ神さまによって生かされているということです。自分と違う行動や言葉、考えの人も、同じ神さまのお働きの中にあるということです。賜物は個性のことかもしれません。それぞれの個性は同じ霊、つまり、同じ神さまの働きかけによって生じているのです。務めは役割のことかもしれません。それぞれの違いは役割の違いであり、同じ主人から与えられているのです。働きは言動のことかもしれません。言動が違っても、それは同じ神さまの大きな働きの中にあるのです。わたしたちは、それぞれの働きを、同じ神さまの大きなお働きの中に、つねにお返しするのが良いのではないでしょうか。

今週の祈り「神さま、あてもなくさまよい行き悩むときにも、祈りへとお招きくださり、まことにありがとうございます。神さま、わたしたちのなかに聖霊が働いてくださり、愛、喜び、平和、寛容、誠実、柔和の実をあらためて結んでください。神さま、治療中の方がたをあなたの御手でお癒しください。神さま、求める人びとの前に、広い道を切り開いてください。神さま、目に見えないあなたを信じ、行く先を知らずに歩むアブラハムの信仰をわたしたちにもお与えください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン」

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《創造者に導かれる旅》その103  「神さまはわたしたちをきっと『良い土地』に導き入れてくださいます。」 [希望と慰めの言葉]

《創造者に導かれる旅》その103  「神さまはわたしたちをきっと『良い土地』に導き入れてくださいます。」

申命記8:6 あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。8:7 あなたの神、主はあなたを良い土地に導き入れようとしておられる。それは、平野にも山にも川が流れ、泉が湧き、地下水が溢れる土地、8:8 小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、オリーブの木と蜜のある土地である。

※十戒は「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」という言葉で始まります。つまり、これまでの主の導きを信じることから戒めを守ることは始まるのです。「主の道を歩む」とは、これまで主がともに歩んでくださった道をしっかりと見つめ、これからもその道を歩み続けることではないでしょうか。神さまはわたしたちをきっと「良い土地」に導き入れてくださいます。そこには、川と泉と地下水があり、穀物や果物が実り、大きな木が育ちます。神さまがわたしたちにいのちの水をくださり、わたしたちを潤し、養ってくださるのです。神さまがこれまでもこれからも創造なさる道はかならずそこに至る道なのです。

今週の祈り「神さま、あらゆる期待が絶えた時も、あなたはなお、わたしたちの希望です。どうなるかはわからないけれども、あなたはかならずどこかに導いてくださるという信仰をわたしたちに与え続け、養いつづけてください。神さま、病を抱えた方がた、道を求めている方がた、疲れ果てている方がた、心が張り裂けそうな方がたを、あなたの御手で、どうぞ、支え、導いてください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン」

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「聖霊の働きによって、わたしたちはイエス・キリストを信じます」 [希望と慰めの言葉]

《使徒書の御言葉》その103 「聖霊の働きによって、わたしたちはイエス・キリストを信じます」

コリントの信徒への手紙一12:3 ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。

※わたしたちは、信仰は自分のものであり、自分の信仰によって、イエス・キリストは主です、と告白していると思ってしまうことがあります。しかし、信仰は、じつは、神さまからの贈り物であり、聖霊の働きによって生じるものなのです。聖霊の働きがあるからこそ、わたしたちは、イエス・キリストは神さまによって復活した、イエス・キリストはわたしたちの主です、と告白することができるのです。信仰も、礼拝も、祈りも、賛美も、愛も、誠実も、柔和も、平和も、聖霊がわたしたちの中で結んだ実なのです。

今週の祈り「わたしたちの主なる神さま、思い煩いと苦しみ痛みの中で、静かな祈りへとお招きくださり、まことにありがとうございます。神さま、平安と慰めを、どうぞ、お与えください。暗闇に光を照らしてください。神さま、病気を抱えている方がたをお癒しください。若い人びとの前にすばらしい道を切り開いてください。神さま、み言葉に聞き、み言葉を伝える教会、愛と喜びと寛容と誠実の満ちる教会として、これからもわたしたちを導いてください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン」

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「苦しみはどこから、導きは神から」 [希望と慰めの言葉]

《創造者に導かれる旅》その102  「苦しみはどこから、導きは神から」

申命記8:4 この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。8:5 あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。

※イスラエルの民はエジプトから導き出され約束の地に導き入れられるまで、荒れ野の旅をしました。それは、四十年の長きにわたり、飢えや渇きがあり、行く先の見えない不安のつきまとう苦しいものでした。けれども、じつは、つねに神さまに守られていたのでした。その間、神さまはつねに必要なものや支えを与えてくださり、民の「まとう着物は古びず」、「足がはれ」て歩けなくなってしまうこともなかったのです。苦しみは神から与えられたものなのか、どこから来たものなのか、それはわかりませんが、たしかなことは、神さまは苦しむわたしたちとともに旅してくださり、それを一刻一刻噛みしめて歩むならば、わたしたちの信仰はすばらしい訓練、いや、導きを受けることになるのです。

今週の祈り「神さま、目に見えるものを強く欲するわたしたちを、目に見えないあなたとの祈りへとお招きくださり、まことにありがとうございます。神さま、自分の計らいごとではなく、あなたのお支えとお導きを信頼し、委ねる者へとわたしたちを造り替えてください。神さま、病を抱える方がたとともにいらしてくださり、お癒しください。神さま、若い方がたの不安な歩みを導き、すばらしいところへといざなってください。神さま、なによりも、あなたの御言葉とあなたの結ぶ実とあなた自身を、わたしたちに慕い求めさせてください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン」

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「生活が礼拝に近づき、礼拝が生活に近づくことを祈り求めます」 [希望と慰めの言葉]

《使徒書の御言葉》その102 「生活が礼拝に近づき、礼拝が生活に近づくことを祈り求めます」

コリントの信徒への手紙一11:28 だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。11:29 主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。

※教会の礼拝では、パンとぶどう飲料をいただくことがありますが、これは、キリストからその体と血を「いただく」、そして、それを他の人とともに「わかちあう」という意味があります。この礼拝でのわかちあいは、生活でのわかちあいとつながっています。生活においては独り占めしながら、礼拝ではわかちあう、礼拝ではわかちあいながら、生活においては自分一人でぜいたくに飲み食いし、貧しい人のことを考えないのであれば、それは、「自分自身に対する裁き」になるとパウロは言います。礼拝で神さまからいただく愛が、生活においてわかちあわれる、そうして、生活が礼拝に近づき、礼拝が生活に近づくことを祈り求めます。

今週の祈り「神さま、静かに祈る者へとわたしたちを造り替えてください。祈りの中で、あなたの静けさへと委ねる者へと育ててください。神さま、わたしの不安をあなたの前に置き、あなたから平安を受け取らせてください。わたしの思いではなく、あなたの御言葉と霊の結び実をこそ信頼する者へと、わたしを創造してください。神さま、若い人びとの前に、喜びの道を切り開いてください。病める人びとを、どうぞ、お癒しください。神さま、ただ、ただ、あなたの愛と聖を慕い求めさせてください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン」

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《創造者に導かれる旅》その101  「行く先を知らず、ただ神の導きだけを知る」 [希望と慰めの言葉]

《創造者に導かれる旅》その101  「行く先を知らず、ただ神の導きだけを知る」

申命記8:2 あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。8:3 主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。

※エジプトでの奴隷生活から解放されたものの、約束の地に入るまで、イスラエルの民は、荒れ野で四十年行く先の見えない旅を続けなければなりませんでした。けれども、その結果、民は目に見えるパンではなく、目に見えない神さまの言葉に信頼して歩む信仰を示されたのでした。民は、行く先を知らず、ただ神さまに導かれて生きた信仰の経験を、創世記、出エジプト記、民数記、申命記、詩編、イザヤ書などに書き記しました。神さまが民に求めた戒めとは、ただ神さまのみを主とし、ただ主にのみ委ねることだったのです。

今週の祈り「神さま、たとえわたしたちの期待がまたひとつ外れても、あなたは、祈りにおいて、外れることのない希望をよみがえらせてくださいます。神さま、あなたが祈りへとお招きくださることこそが、わたしたちの希望であり、救いです。心より感謝申し上げます。神さま、祈りにおいて、自分の思いを黙らせ、ただあなたのみに委ねることをわたしたちに教えてください。神さま、病気を抱える友、若い友、仕事のことで悩む友、こころが揺れる友の前に、大きな道を切り開いてください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン」

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《使徒書の御言葉》その101 「ねがわくば、わが言動が、主の愛に沿わんことを」 [希望と慰めの言葉]

《使徒書の御言葉》その101 「ねがわくば、わが言動が、主の愛に沿わんことを」

コリントの信徒への手紙一10:31 だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。10:32 ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい。10:33 わたしも、人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばそうとしているのですから。

※「神の栄光を現す」とはどういうことでしょうか。パウロは、「人を惑わさない」、むしろ、「すべての点ですべての人を喜ばす」と続けています。つまり、「神の栄光を現す」ことの中には、誰かの信仰生活を妨げるようなことをしないことや誰かを苦しませるのではなく喜ばせることが含まれるのではないでしょうか。まわりの人に対するわたしたちの言動は、神さまの愛を伝えるものでありたいと願います。「神は愛である」という言葉を教えるのではなく、わたしたちが神さまから愛されて慰められたり励まされたりするように、わたしたちの控えめな言動がその人を安らかにするものであれば、とせつに祈ります。

今週の祈り「神さま、嵐の湖の舟のように、揺れに揺れるわたしたちの霊を、あなたの静かな祈りの凪へとお導きくださり、まことにありがとうございます。神さま、どうぞ、この祈りにおいて、あなたの平安をわたしたちに満たしてください。いや、すでに満たされていることに気付かせてください。神さま、病の友をお癒しください。求める友に、どうぞ、お与えください。神さま、夜を祈りの夜にしてください。そして、朝の光へとお導きください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン」
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