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イエス・キリストとの出会い [使信]

使信 2024年1月14日 
「イエス・キリストとの出会い」  ヨハネ1:35-51

 おはようございます。皆さんはどのようにして、教会に来るようになられたのでしょうか。あるいは、どのようにしてキリスト教を信じるようになられたのでしょうか。あるいは、イエス・キリストとはどのように出会われたのでしょうか。
 親がクリスチャンだった、クリスチャンホームに生まれたので、イエス・キリストと出会った・・・という方はおられるでしょうか・・・。
 幼稚園がキリスト教の幼稚園だったのがきっかけだ・・・という方はおられるでしょうか・・・。昨年洗礼を受けた高校生は、幼稚園がキリスト教の幼稚園で、幼稚園の行事か何かで、教会の礼拝に出て、聖餐式を見て、これはいいなと思いつづけてきた、と言っていました。
 中学生、高校生のころに教会に行くようになって、イエス・キリストと出会った、という方はおられるでしょうか・・・。
 それ以上の年齢になって、たとえば、人生の悩みを抱えるようになって、教会に来てみた、という方はおられるでしょうか・・・。
 わたしの場合は、両親がクリスチャンだった、父親が牧師だった、ということですね。父は、戦争から帰ってきて、人生の意味を考え直そうと、キリスト教会の門をたたいたようです。
 母の場合は、母の母、つまり、わたしの祖母が、人生においてつらい経験をし、神さまなど信じられなくなったそうですが、せめて自分の娘二人には神さまを信じられるようになってほしいと、母はプロテスタントの東京女子大学へ、母の妹はカトリックの白百合へ行かせたそうです。しかし、祖母は、プロテスタントとカトリックの違いも共通点も知らなかったそうです。ただ、キリスト教の学校に子どもを行かせて、神さまを信じるようになってほしいと願ったそうです。
 わたしは、そのような両親のもとに生まれ、生後半年のイースターで幼児洗礼を受けました。赤ん坊は言葉による信仰告白などしませんが、洗礼には人間の側の信仰告白、信仰の決意だけでなく、神さまの側の恵み、愛という意味があると考え、また、親の信仰によって子どもを育てるということも加味すれば、赤ん坊への洗礼もあり、とする信仰もありうるわけです。
 そして、高校2年生の時に、信仰告白をしました。これは、神さまの恵みや親の信仰によって幼児洗礼を受けた者が、青年期になる、あるいは、成人になったときに、使徒信条という古来からの信仰告白を学び、それを自分の信仰として告白するものです。もっとも、わたしは、自分から進んで、ではなく、親に言われて、そうしたわけです。
 わたしの子どもたちもそうだったと思います。うちの子どもたちが生まれた時は、わたしは幼児洗礼の習慣がない教会の牧師をしていましたので、自分の子どもたちに幼児洗礼を施すことはしませんでしたが、関田先生のご紹介もあり、まもなく、幼児洗礼をするメソジスト系の教会に転勤しましたので、そこで、子どもたちに洗礼を授け、その十数年後、信仰告白の式、これは堅信式、信仰を堅くする式、堅信礼とも言いますが、それを行いました。
 わたしの話に戻しますと、わたしは高校時代に親に言われるままに、堅信礼を受けました。自分からキリスト教に関心を持つようになったのは大学生になってからです。
 小さな教会で牧師さんとふたりで、イエス・キリストの十字架と復活についての本を読みました。わたしたち人間は罪人である、という教えは、わたし自身に照らしてみると、じつに説得的でした。けれども、その罪が、イエス・キリストの十字架によって赦された、という教えは、じつに画期的でした。罪と赦し、というキリスト教の教えにひじょうに魅力を感じました。
 しかし、牧師さんから勧められてではなく、自分の知的関心から、荒井献さんや田川建三さんの本も読むようになりました。田川さんというのは、荒井さんの後輩ですが、荒井さんに対しては、辛辣なことを書く人です。けれども、ふたりとも、歴史上のイエスという人物を描く歴史家です。
 彼らが描くイエスという人は、十字架についてわたしたちの罪を赦すキリストという側面ではなく、その時代の貧しい人、罪人と呼ばれている人の立場に立ち、それを虐げる権力者に抵抗する人です。そのようなイエス像にもわたしは強くひかれました。
 また、カール・バルトという人がいまして、この人は、イエス・キリストは神の言葉である、イエス・キリストは人間を無条件に救う神の愛そのものである、というようなことを言ったのですが、これにも強く惹かれました。
 これらのいくつかのイエス像、イエス・キリスト像は、厳密にはぴったり重なり合うものではありません。では、今、わたしがイエス・キリストをどのような存在として信じているかと言うと、わたしは、これらのさまざまなイエス像、イエス・キリスト像は、引き出しのようなもので、TPOに応じて、どれかの引き出しを開ける、あるいは、どれかの引き出しが開かれる、といった感じです。
 このように、イエス・キリストとの出会いは、人それぞれだと思いますが、今日の聖書も、イエス・キリストとのさまざまな出会いが描かれているように読むこともできるでしょう、
 ヨハネによる福音書1章35節です。1:35 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。1:36 そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。
 洗礼者ヨハネは、イエスのことをここで「神の小羊」と言っています。これは、先週も申し上げましたように、わたしたち人間の罪を赦すために神さまにささげられる小羊のことです。わたしたち人間の罪を赦すために、わたしたちに代わって十字架につけられ罪の罰を受けた神の子。それがイエス・キリストだと、ここで、ヨハネは言っています。
 37節です。1:37 二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。1:38 イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、1:39 イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。
 ヨハネに代わって、二人の弟子たちにとっては、イエスとはどのような存在だったのでしょうか。ここに「泊まる」、宿泊の泊ですね、「泊まる」という動詞が三度繰り返されています。イエスのもとに泊まるとはどういうことでしょうか。
 これは、イエスと一緒にいる、あるいは、イエスについていく、ということではないでしょうか。イエスと一緒に歩むということではないでしょうか。弟子たちがイエスと一緒に歩む、あるいは、わたしたちが聖書を読むことでイエスと一緒に旅をする。そこにはどんなことがあるでしょうか。
 イエスは病人を癒しました。人々から見捨てられ、隔離された病人を癒しました。また、イエスは、罪人と言われ世の中から斥けられた人びとと話をしたり食事をしたりしました。
 あるいは、イエスは神の国を語りました。この世界を本当に治めているのは王ではなく、神さまであると語られました。ここは神さまの国であると語られました。そして、神さまの国は、種から育つ植物のように、あるいは、パン種によってパンが膨らむように、生き生きとしていて、大きく育っていくもの、いのちにあふれたものであることを、イエスは語りました。
 あるいは、イエスは嵐を静めました。嵐に慌てる弟子たちに平安をもたらしました。あるいは、イエスは何千人もの人びとと食事をわかちあわれました。十字架につけられる前の晩にも、弟子たちと食事をわかちあわれました。
 あるいは、イエスは空の鳥、野の花のごとく神さまを信頼しました。十字架につけられる前の晩も、この苦しみを取り除いてくださいと祈りつつも、神さまにすべてを委ねました。イエスは十字架につき、死んで葬られましたが、復活して弟子たちのところにあらわれました、と福音書は語っています。
 イエスのもとに「泊まる」ということは、このようなイエスの生涯と一緒に歩むということではないでしょうか。二人の弟子はイエスとこのような出会いをしたのではないでしょうか。
 40節です。1:40 ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。1:41 彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。
 アンデレは、イエスをメシアだと言いました。メシアとは、油を注がれた者という意味で、旧約聖書では、王や祭司や預言者が立てられる時に油を注がれました。また、そのような救い主、イスラエルの民を救う者が現れると信じられていました。
 王とは国を治める者です。イエスは神の国を治める者、神の国の王と言えるかもしれません。祭司とは人を神さまにとりなす者です。イエスはわたしたち人間を神にとりなす者と言えるかもしれません。「イエス・キリストの御名によって、お名前によって祈ります」とは、イエス・キリストのとりなしによって祈ります、という意味でもあるでしょう。預言者とは神の言葉を語る者です。イエスは神の言葉を語る者でありましょう。そして、イエス・キリストは苦しむ民を救う救い主である、とアンデレは信じたのでありましょう。
 42節です。1:42 そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。
 このシモンとはペトロのことです。ペトロとはギリシャ語で「岩」という意味ですが、これは、ヘブライ語ではケファと言ったようです。
 ペトロはイエス・キリストから「岩」と呼ばれました。これにはどのような意味があるのでしょうか。マタイ福音書では、イエスは「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」と言ったとあります。ペトロはそのようなたしかな人物だったのでしょうか。あるいは、頑固な人物だったのでしょうか。
 あるいは、ペトロはのちにイエスのことを三度知らないというような弱い人物であったから、そのような弱い人物が強くなるように、という願いが込められていたのでしょうか。
 旧約聖書には「救いの岩」という言葉が何度か出てきて、これは、神さまを形容する言葉ですが、砂漠や荒れ地の大きな岩は大きな影を造り、そこで人びとは雨、風、砂、日差しなどから守られるというイメージがあると聞いたことがあります。
 いずれにせよ、ペトロはイエスから名前をもらうというような出会いをしました。ちなみに、林巌雄の巌雄もペトロから来ています。イエス・キリストを裏切るような人物の名前を付けやがって親父は・・・などと思ったこともありましたが、父の神学校の卒論はペトロの研究だったそうで、じゃあ、いいか、と受け入れもしました。
 43節です。1:43 その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。
 フィリポはイエスに従うように招かれました。イエスに従うとは先ほど申し上げた病人を癒したり虐げられている人びとに近づいたり神の国を宣べ伝えたりしたイエスに従って生きるということでありましょう。
 45節です。1:45 フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」
フィリポは、また、イエスと出会い、この方は、モーセや預言者が預言したお方だと思いました。
 49節です。1:49 ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
ナタナエルは、イエスと出会い、神の子、イスラエルの王だと思いました。
 51節です。1:51 更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」
 イエスご自身は、ご自分は、天の神さまのことを地上の人間に伝えるものだ、と言っておられるように思われます。
 このように、今日の聖書の中では、それぞれの人がイエス・キリストとそれぞれの出会い方をしています。わたしたちも、それぞれがそれぞれの仕方でイエス・キリストと出会ってきたのではないでしょうか。
 そのうちのどの出会い方が正しく、どの出会い方は間違っている、というようなことはないでしょう。神さまとの出会いの多様性は、むしろ、神さまの恵みの多様性、神さまの愛のゆたかさを示しているのではないでしょうか。
 イエス・キリストが虐げられた人びとを訪ねたこと、病人に寄り添ったこと、神の国を宣べ伝えたこと、旧約聖書の時代から待ち望まれた救い主であること、十字架につかれ陰府に降ったけれども復活なさったこと、神さまの存在と愛と力を誰よりも強く深く感じ、受け取り、それをわたしたちに今なお伝えてくれていること。
 これらのことがわたしたちとイエス・キリストとの出会いを織りなし、キリスト教信仰をゆたかにしてくれていると信じます。
 祈りましょう。神さま、聖書の中でも、人びとはそれぞれの仕方でイエス・キリストと出会いました。わたしたちもまたそれぞれの仕方でイエス・キリストと出会っています。わたしたちがそれぞれの出会いを神さまの恵みのゆたかさとして受け取ることができますように。神さま、不安や弱さを抱えている人がいれば、イエス・キリストと出会い、神さまを信頼して歩むというひとつの道をお示しくださいますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。
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