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2021年9月26日 [今週の聖書の言葉]

【今週の聖書の言葉】

「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」(マタイ20:14)

 ぶどう園の主は、夕方の仕事終了間際になってやっと雇われた者にも、朝一番に雇われて一日働いた者と同じ賃金を支払いたいと言います。
 多くの時間働いた者が、あるいは、多くの成果を上げた者が多くの報酬を受けるという考え方からすれば、これは不正だということになるでしょう。
 しかし、このぶどう園主は、人びとを雇う際に、時給いくらなどとは口にしてなく、「ふさわしい賃金を払ってやろう」と言ったのです。
 これを聞いて多くの人は「労働時間や労働成果にふさわしい賃金」と理解するかもしれませんが、じつは、これは、「あなたと家族が明日一日を生きるのにふさわしい賃金」を払おうという意味なのかもしれません。
 家族四人の一日の食費に一デナリオンのお金が必要だとします。朝一番に雇われた人は、朝一番にその不安がなくなりました。今日の夕方まで働けば、それを手にすることができるからです。しかし、午後になっても雇ってもらえない人は、明日の食費を確保できるか、朝からずっと不安で仕方ありません。
 ぶどう園の主の願いは、人びとに働いてもらうこと以上に、人びとの不安をなくすこと、人びとが明日も生き抜くことだったのではないでしょうか。「同じように支払いたい」とは「同じように生き抜いて欲しい」ということではないでしょうか。
 職を得られない、職を失うとは、生きていくことができないということです。わたしたち人間の世界ではざんねんながらそれがあります。
 しかし、神は誰をも解雇しません。たとえ、わたしたちが職を失っても、神を失うことはありません。神は、誰をも生かし、命の息吹を日々新たに吹き込んでくださいます。

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