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2021年9月12日 [今週の聖書の言葉]

【今週の聖書の言葉】

「わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。」(マタイ18:33)

これは、イエスのたとえ話の中で、主君が家来に言った言葉です。つまり、神はわたしたちに「わたしがあなたの苦しみを受け止めたように、あなたも仲間の苦しみを想うべきではないか」と言っているということではないでしょうか。

「憐れむ」という語には、恵まれた人が恵まれない人を上から見下ろすようなニュアンスをわたしたちは感じますが、本来はそうではないようです。「同情する」という類語にも同様の意味合いがまとわりついていますが、漢字を見ますと、「同じ」「情(心、感情)」を持つ、とあります。「共感」も「感情、心」を「共にする」という意味でしょう。

たとえ話で主君が家来に使った「憐れむ」という意味のギリシャ語の類語には、内臓が動かされる、という意味があります。わたしたちも、人の苦しみを目の当たりにして、お腹が痛くなることがないでしょうか。

旧約聖書の出エジプト記3:7にこうあります。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。」

神はわたしたちの苦しむ姿のすべてを見てくださり、わたしたちの叫び声を聞き逃さないでくださり、痛みをわかってくださるのです。

その神に感謝してわたしたちのできることは、やはり、苦しむ人の痛みをわたしたちの痛みにすることではないでしょうか。ともに傷むことではないでしょうか。それは難しいことですが、そうしようと願う人だけがその難しさを知り、その難しさを知る人だけがそうしたいと切に祈るのではないでしょうか。

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