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この人は神の子だった [こども説教]

こども20210328   「この人は神の子だった」 マタイによる福音書27 :45-54
 皆さん、おはようございます。皆さん、イースターって言葉を聞いたことがありますか。イースターとは、イエスさまが十字架について死んでしまったけれども、復活した・・・「復活した」とは「生き返った」という意味ですが・・・イエスさまが復活した日、それをイースターと言います。
 イースターはじつは毎年日にちが変わります。今年は、4月4日、来週の日曜日がイースターです。来週は、教会の一番うれしい日なのです。
 でも、イースターの前、つまり、イエスさまは復活する前に、十字架にかけられました。イエスさまが十字架にかけられると、昼間なのに、空は暗くなりました。お昼の十二時に暗くなり、午後三時までずっと暗かったのです。
 三時ごろ、イエスさまは十字架の上で叫びました。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」。これは、魔法の言葉、呪文のように聞こえますが、そうではありません。
 「わたしの神さま、わたしの神さま、どうして、わたしを見捨てたのですか」という意味です。
 じつは、神さまはイエスさまを見捨てていませんでした。イエスさまがイースターに生き返るのは、神さまがイエスさまを見捨てていなかったことのしるしです。
 けれども、イエスさまも、十字架につけられて死んでしまうのは苦しかったのでしょう。だから、「わたしの神さま、わたしの神さま、どうして、わたしを見捨てたのですか」と叫んだのでしょう。
 わたしたちも、苦しい時、神さまはわたしを見捨ててしまったのではないかなあ、と思うことがあります。イエスさまはそんなわたしたちと同じ気持ちになってくれたのだと思います。
 イエスさまはもう一度「わたしの神さま、わたしの神さま、どうして、わたしを見捨てたのですか」と叫んで、息を引き取りました。死んでしまったのです。
 ところが、これを見ていた人は、「本当に、この人は神の子だった」と言いました。どうして、十字架について死んだ人が神の子だったなんて思うのでしょうか。
 人が死ぬことはとても悲しいことです。けれども、わたしたちは人が死ぬとき、その人がすばらしい人だったことを思い出します。その人がしてくれたこと、その人が一所懸命に生きたことを思い出します。神さまがその人にいのちを与え、いつも一緒にいたことを思い出します。だから、人びとは、イエスさまを見て「本当に、この人は神の子だった」と言ったのではないでしょうか。
 今日は少し怖いお話でしたが、来週は、イエスさまが生き返る、うれしいお話です。
 お祈りいたしましょう。

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