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あなたの子は生きる [使信]

2020年7月19日 ヨハネ4:43-54  「あなたの子は生きる」

 おはようございます。かつてマリアは、イエスの足元に座って、イエスの話に聞き入りました。イエスはそれを受けて、「マリアは良い方を選んだ」と言いました。イエスの足元に座って、イエスの話を聞く、そのことを通して、じつは、神の足元に座って、神を礼拝する。それは、たしかに、良いことだと思います。

 皆さんは、今日、礼拝を選ばれました。皆さんも良い方を選んだ、と私は思います。時間をかけてでも、この礼拝堂に集い、神を礼拝することを選ばれたのです。今日の礼拝だけでなく、皆さんは、信仰生活を選ばれました。とても良いものを選ばれました。しかも、まぶね教会での信仰生活です。これは良い方どころか、最良のものを選ばれたのではないでしょうか。

 もっとも、私たちはどこにいても、神を礼拝できます。私たちはどこにいても、神に生かされていることを、神が私たちを生かしていることを確認できます。礼拝とは、このことで神に感謝の祈りをささげることではないでしょうか。わたしたちはただ生きているだけでなく、神によって生かされています。今日の聖書で、イエスは「あなたの息子は生きる」と言います。

「あなたの息子は生きる」。「あなたの息子は生かされている」「あなたの息子は神に生かされている」、これが今日の聖書の中心メッセージだと思います。「あなたの息子は生きる」すなわち「神があなたの息子とつながっている」。これが今日の聖書の中心メッセージではないでしょうか。

 私にも息子がふたりいます。まあ、子どものことでは、ほんとうにいろいろ悩みます。思い煩います。子どものプライバシーもあるので、どんなことで悩んできたか、大きな声では言えませんが。

 けれども、子育てをしながら、繰り返し出会う言葉は、「神にまかせる」「神に委ねる」ということです。親がああしたらよいとかこうしたらよいとかあまり思い煩うのではなく、神にまかせる、神に委ねる、神が子どもとつながっていてくださる、と信じることが大事だと思います。今日の聖書で言えば、「あなたの子は生きる」というイエスの言葉を信じることが大切だと思います。

 「あなたの子は生きる」。これは、子どものことで心配するあらゆる親へのイエスのメッセージではないでしょうか。大丈夫です。私たちの子は生きるのです。子どもだけではありません。イエスは、同時に、あなたの家族は生きる、あなたの友は生きる、と言ってくれているのではないでしょうか。あなたの□□□□は生きる。わたしたちはここにどんな言葉を入れてもよいのです。

 今日の聖書を振り返ってみましょう。ヨハネによる福音書4章47節です。「4:47 この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞き、イエスのもとに行き、カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである」。

 「息子が死にかかっていた」とあります。死とは何でしょうか。わたしはまだ肉体的には死んだことはありませんし、死にかかったこともありません。けれども、心が死にそうになったことはあります。心がつぶれそうになったことがあります。ああ、死ぬとはこういうことなのか、自分の人生にはまったく意味がなかった、自分の生きてきた道のりがすべて否定された、何のために生きてきたのか、何のために生きていくのか、もういい、もう自分は生きていないのだな、とまで、思い知らされたことがあります。私は何のために生きているのか、と今でも思い悩みます。いっそのこと、教会にでも行ってみようか、牧師さんにでも相談してみようかとも思います。

 それでも、心を押しつぶされないで生きていかなくてはならない、生きていこう、なんとか生きていこうとも思います。

心を押しつぶされないで生きていく方法を最近三つ考えました。ひとつは、笑うことですね。おもしろいことで笑うことです。笑うと言っても、人を嘲り笑うことではありません。微笑むことです。大笑いでも良いのですが、とにかく楽しく笑うことです。人を嘲るのでなければ、ばかばかしいことでも、笑うのはよいことではないでしょうか。落語でもコメディでもジョークでも、思い出話でも、笑うことは大切だと思います。

 心を押しつぶされないで生きていく方法の二番目は、気高い文章を読むことだと思います。難しい文章でなくてもよい。いや、難しくない、やさしめの文章が良いと思いますが、平易であっても、気高い精神の宿っている文章を読むことが良いと思います。

 三番目は、何かに打ち込むことだと思います。心が押しつぶされそうなとき、私たちは自分の内側にばかり意識が向かってしまいますが、自分の外のことに意識を向けることがよいと思います。自分以外の人と交流を持つ、話をする、話を聞く、自分の知らないような考えをもった人の本を読む、自分以外の苦しんでいる人びとのことを思う。心を押しつぶされずに、私たちが生きる、生きていくにはこういうことが大切なのではないでしょうか。

 聖書に戻りましょう。49節です。「役人は、『主よ、子供が死なないうちに、おいでください』と言った」。

 「子供が死なないうちに」とあります。私たちは子どもたちが死なないことを、子どもたちが生きることを切望します。それに対して、イエスは、派手なパフォーマンスは起こしませんでした。多くの人びとの前で、はなばなしい奇跡を見せつけるようなことはしませんでした。イエスの答えは、ただ、「あなたの息子は生きる」という一言だったのです。

 私たちは子どもたちのことを心配しています。しかし、派手な奇跡はめったに起こりません。けれども、わたしたちにはイエスのたしかな約束があります。「あなたの息子は生きる」というイエスの約束があります。私たちは、この約束を信じようではありませんか。

 私は、まぶね教会に子どもたちが集うようになることを祈っています。小学生、中学生、高校生が集う教会になることを祈っています。そして、もっと大きな子どもたち、もう、三十歳にも、四十歳にも、五十歳にもなった、私たちの子どもたちが集う教会になることを祈っています。

 私たちの子どもたちが生きる教会、私たちの子どもたちが神とつながって生きる教会にまぶね教会が成長することを祈っています。と言っても、教会に来ていない子どもたちが、死んでいるわけではありません。神とつながっていないわけでもありません。「あなたの息子は生きる」「あなたの息子は生きている」とイエスが約束しているのですから。ただ、そのイエスの約束が、もっとあきらかになる、そういう教会に成長することを祈っています。

 「あなたの息子は生きる」。このイエスの言葉を信じようではありませんか。「あなたの息子は生きる」「あなたの未来は生きる」「あなたは生きる」、神がそう約束してくださると信じようではありませんか。

祈り:私たちに命を与え、生きる世界を与えてくださった神さま、心より感謝申し上げます。神さま、心が押しつぶされ、生きていることが実感できない友がいます。どうぞ、あなたの命の息吹をさらに吹き込んでください。神さま、人間関係で苦しんでいる友がいます。どうぞ、あなたがまことの友となってください。神さま、病の床に伏している友がいます。どうぞ、あなたの癒しの御手をあててください。イエスによって祈ります。

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