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2023年12月10日 [今週の聖書の言葉]

【今週の聖書の言葉】

あなたたちは、モーセを信じたのであれば、わたしをも信じたはずだ。モーセは、わたしについて書いているからである。(ヨハネ5:46)

 わたしたちは「証拠」を求めたがります。それは、論理的なものであったり、物理的なものであったりします。けれども、信仰は、論理性や証拠を全否定はしませんが、根本には、それらには拠らない「信頼」があります。
 もし神さまが、人間の論理や人間の考える証拠によって証明されるなら、それは、神さまを人間の思考の枠に閉じ込めてしまうことになります。
 さて、イエスがキリスト(メシア、救い主)であることはどのようにして「証し」されるのでしょうか。
「父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている」(5:36)。
神さまがイエスさまを通してなさる業が、キリストの証しだと言うのです。これも、「物的証拠」というよりは、そのように信頼する、信仰的にそのように受けとめるということでありましょう。
 上の引用では、モーセがイエスについて書いている、とイエス自身が言っておられます。これは、イエスが神さまから遣わされた救い主であることは、旧約聖書が証しをしている、というのです。
 しかし、これも「預言が命中した」というレベルのことではなく、旧約聖書に書かれていることを祈りと信仰においてイエス・キリストのこととして受け止める、ということであり、神さまがそのように示してくださることが、わたしたちの霊的な部分に届けられているということでありましょう。
 つまり、イエスがキリストであることは神さまご自身がわたしたちに示してくださることなのです。わたしたちはこれを信頼して受け止めましょう。

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