SSブログ

「神さまは悲しむ人びとを慰めてくださいます」 [中高生向けのお話]

中高生礼拝 20180715 マタイ5:1-10 p.6
 
「神さまは悲しむ人びとを慰めてくださいます」

 皆さん、おはようございます。イエスさまは人びとに山で教えられたことがあります。その教えを「山上の説教」と呼びます。今日の聖書の箇所は、その最初の部分で、ナニナニする人びとは幸いである、という言葉が八つ並んでいます。

 最初の言葉は、「心の貧しい人びとは、幸いである。天の国はその人たちのものである」というものです。「心の貧しい人びと」とはどういう人びとでしょうか。

 心が満ち足りず、寂しい思い、苦しい思いをしている人びとのことかも知れません。では、そういう人びとのことを、どうしてイエスさまは「幸いである」と言われるのでしょうか。

 イエスさまは「天の国はその人たちのものである」と言っておられます。「天の国」とは、死んだ後行く世界というよりも、ほんとうは神さまの愛が満ちあふれているこの世界、わたしたちの生きている世界のことだと思います。

 悲しいこと、苦しいことが多すぎて、なかなか気づきにくいのですが、じつは、そうした悲しみ、そうした苦しみ、そうしたわたしたちの傷を包み込むような神さまの愛が、この世界には満ちあふれています。イエスさまは、わたしたちにそのことを教えてくださっておられます。

 「心の貧しい人びとは、幸いである。天の国はその人たちのものである」というイエスさまのお言葉は、心が満ち足りず、寂しい思い、苦しい思いをしている人びとを、じつは、目に見えない神さまの愛が包み込もうとしておられる、ということを教えてくれているのかもしれません。

 つぎに、今日の聖書の5章4節を見ますと、こうあります。「悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる」

 これも、悲しんでいる人びとがどうして幸いなのか、わかりにくいのですが、神さまは目には見えませんが、悲しんでいる人びとをこそ、まっさきに慰めようとしておられる、悲しんでいる人びとをやはり悲しい目で、けれども、やさしい目で神さまは見守っておられるということをイエスさまは教えてくださっておられるのではないでしょうか。

 悲しむ人々は幸いである。この言葉を、そのまま聞くと理解しがたいのですが、神さまは悲しむ人々を慰めようとしておられる、というように解釈すると、わかりやすくなるのではないでしょうか。(マタイ5:1-10)

nice!(1) 

nice! 1