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「大切な人は、死んだ後も一緒にいてくれます」 [中高生向けのお話]

中高生礼拝 20180603 ヨハネ11:1-15 p.118
 
「大切な人は、死んだ後も一緒にいてくれます」

 皆さん、おはようございます。皆さんは、誰かのお葬式に行ったことはあるでしょうか。おばあちゃんやおじいちゃんのお葬式に行ったことがあるでしょうか。死んだ人はどうなってしまうのでしょうか。

 死んだ後、どうなるのか、わたしにもわかりません。けれども、信じていることが、ひとつあります。それは、わたしたちが死んだ後も、神さまが一緒にいてくださる、ということです。

 わたしたちは、今、生きています。生きている今も、目には見えないけれども、神さまが一緒にいてくださる、とわたしたちは信じています。

 そして、それは、死んだ後も同じで、わたしたちが死んだ後も、神さまが一緒にいてくださる、とわたしたちは信じたいと思います。

 今日の聖書によりますと、ラザロと言う人が病気になって死んでしまいそうでした。人びとは心配して、イエスさまのところにやってきました。すると、イエスさまはこう言われました。4節です。11:4 イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」

 「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである」。これは難しい言葉ですね。けれども、イエスさまはこういうことを言いたいのではないかと思います。たとえ、この人が病気で死んでしまっても、それでおしまい、ということはありません。たとえ、死んでしまっても、そのあとも、神さまがずっと一緒にいてくださいます。イエスさまは、こういうことをおっしゃりたいのではないかと考えました。

 それから、11節です。11:11 こうお話しになり、また、その後で言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」

 この時点で、ラザロはもう死んでしまっているようですが、イエスさまは、ラザロは眠っている、と言います。これもまた、ラザロは死んでしまって、それでおしまい、ということではない、という意味ではないでしょうか。
 
 さらに、イエスさまはラザロを起こすと言います。これは、ラザロは死んでしまって終わりになったのではなく、死んだ後も、起き上がって、神さまと一緒にいる、という意味ではないでしょうか。さらには、死んだ後も、起き上がって、親しかった家族などと一緒にいるということではないでしょうか。
 
 死んだ人が起き上がる、というような話しは、わたしたちは、信じにくいのですが、わたしたちは、たとえば、死んでしまったおばあちゃんがいつも一緒にいて守っていてくれるような気がする、というような感じを持つことがあります。
 
 イエスさまは、同じように、わたしたちの大切な人は、死んでしまってもおしまいではなくて、神さまとずっと一緒にいて、そして、神さまを通して、わたしたちとも一緒にいてくれる、ということを教えてくれているのではないでしょうか。

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