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「三位一体を信じることは、インマヌエルの神さまを喜ぶこと」 [中高生向けのお話]

「三位一体を信じることは、インマヌエルの神さまを喜ぶこと」

 わたしたちが毎週礼拝で信仰を告白する際に唱える使徒信条にも、三位一体が現われています。まず、「我は天地の創り主、全能の父なる神を信ず」と言います。これは、わたしたちとわたしたちが生きるこの世界を創ってくださった神さまのことですね。それから、「我はその独り子、我らの主イエス・キリストを信ず」と言います。これは、父なる神の独り子であり、わたしたちの主、わたしたちを守り、導いてくださる主であるイエス・キリストのことです。そして、「我は聖霊を信ず」と言います。
 
 ここで、注意したいことは、「父なる神を信ず」「イエス・キリストを信ず」「聖霊を信ず」とあるように、これは、わたしたちの信じること、わたしたちの信仰だという点です。三位一体と言います。三位は、父なる神、御子イエス・キリスト、そして、聖霊。この三つですが、一体とはどういうことでしょうか。
 
 使徒信条では、「信ず」と言います。つまり、わたしたちの信仰において、「父なる神」「御子イエス・キリスト」、そして、聖霊は一体である、というのです。三位一体というのは、なかなか説明が難しいです。神さまが存在し、わたしたちを愛してくださっておられるのを説明するくらいに難しいことです。
 
 でも、信じることにおいては、神さまの存在も、神さまの愛も、三位一体も、難しいことではありません。
 
 三位一体とは、父、御子、御霊という三人の神さまたちがいて、その神さまたちが一体となっているということではありません。また、神さまが、三分の一にわけられ、最初の三分の一は父、つぎの三分の一は御子、最後の三分の一は聖霊ということでもありません。あるいは、神さまがあるときは、父、またあるときは、御子、またあるときは、聖霊になるというのでもありません。
 
 そうではなく、わたしたちは父なる神、創造主の中にも、また、その独り子であり、わたしたちの主であるイエス・キリストの中にも、そして、聖霊の中にも、神さまという一つの働き、神さまの愛という一つの働き、インマヌエル、神さまがともにおられるという一つの働きがあることを信じるのです。
 
 信じるとは、自分に言い聞かせるとか、思い込むとかいうことではなくて、むしろ、感じられるということでしょう。神さまはわたしたちとこの世界を創ってくださったのだなあ、神さまは御子イエス・キリストを送り、わたしたちとともにいてくださるのだなあ、神さまは聖霊を送ってくださり、わたしたちと一緒にいてくださるのだなあ、と感じられる、そのことをうれしく感じられることでしょう。喜ばしく感じられることでしょう。
 
 わたしたちは、神さまが天地とわたしたちを創ってくださったことを感じ、それを何よりも喜んでいます。わたしたちは、神さまが独り子イエス・キリストをわたしたちのところにお送りくださり、わたしたちとともにいてくださることを感じ、それを何よりも喜んでいます。わたしたちは、神さまが聖霊をわたしたちひとりひとりのところにお送りくださり、わたしたちといっしょにいてくださることを感じ、それを何よりも喜んでいます。そのことにおいて、神さまは三位一体なのです。

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